自転車は頭で考えるとろくなものができない。


試作~試乗~試作の繰り返しの中で天の声が聞こえてくるのである。私には神仏が意地悪してるとしか思えない。だから、大きなヒント(失敗)を見逃さないことである。

「ひらめきは向こうからやってくる。」・・・頭で考えてるときはひらめかない、ボーっとしてるときにひらめきが起こることは脳科学で実証されている。ただし、いつもボーっとしていたのでは当然ダメである。脳をフル回転させ、くたくたにならないとひらめかない。全く別なことを考えていたり、何も考えていないときに突然ひらめく。


高校生の自転車はサドルを低くして乗っているのがほとんどだし、土踏まずでペダリングは常識である。そこに、3点調整法を持ち出す人は視点が逆なのである。なぜそうしてるのか?という切り口で見なければならない。


サドルを高くし、足が付かない自転車より、サドルを低くし、両足がベッタリ付く自転車のほうが、安心で安全なのだ。「効率が悪いからサドルを高くしろ。」と言ったところで怖くて乗れないのでは話にならないではないか。


私は、ピスト競技をやっていたので、「足が付かないサドル高さで、足がペダルから外れないように固定し、前が見えないほど前傾姿勢して」全速力で走っていた。こんな自転車の乗り方はクレージーだとずっと思ってきた。 

ロードレースだって、ビンディングペダルなんかない時代である。
シューズの底にプレートを釘で打ち込むのである。このプレートをペダルにはめ込み、ストラップを締めたら緊急時にペダルから足を外すことは100%できなかった。

器用な人はそのくらいのことは何でもないのだろうが、不器用な私には恐怖でしかなかった。

そんな嫌な体験を大学1年の時に体験し、2年生以降は一人旅三昧であった。ただし、「なぜドロップハンドルなんだろう、なぜトークリップなんだろう、なぜ前フォーク抜き輪行なんだろう?」という疑問を常に感じながら走っていた。

ある日、こう思ったのである。「ママチャリポジションでサイクリングできないものか?」
速く走る必要はなく、ゆっくり楽に走れればいいのである。
電動アシスト車に生まれて初めて乗った時、両足がベッタリ接地するサドル高さでもまともに走れるのに驚いた。「これを人力でやれないものか?」

ロングホイールベース車を作りたくて、ある自転車の前半分と別な自転車の後ろ半分を自分でロー付けしてくっ付けた。ところが、BBHが低すぎて大失敗してしまった。
でもせっかく作ったからと思って127mmクランクを取り付けて乗ってみた。「あれ?スゴイ楽ちんだ、なぜだ?」ほかの人たちにも乗ってもらったが大好評であった。
これが1995年に起きた”神のお告げ”であった。

それから24年の歳月が流れ、「ママチャリポジションでサイクリングできる自転車」を何台作ったことだろう。失敗を繰り返しながらもようやくある程度イメージ通りの設計ができるようになってきた。

今まで、クランク長さは身長や脚の長さで決めるものだと思っていたが、全く違うことに気が付いた。「そうか、クランク長さに合わせてフレームを設計すればいいんだ。」というところまでたどり着いた。

気が付いたら「ブルホーンハンドルにフラットペダルにフォークを抜かないで輪行できる自転車」
が4台になっていた。

真言密教の教え「頭で考えるな、体で感じろ!」ということがようやく分かってきた。
もうすぐ、新しいフレームがやってくる。乗ってみたらまた新しい発見があるかもしれない。