常識は必ずしも正しいとは限らない。

天動説が常識だった頃、地動説を唱えるのは命がけであった。
常識を覆すには、とんでもないエネルギーが必要である。

多数派が正しいとすることも非常に危険だ。民主主義の多数決は間違った方向へ進む場合が多い。

少数派の意見を無視してはいけない。案外少数派のほうが正しかったりすることが多いからだ。
道路を設計するのに、自転車乗りの意見は少数派であり、自動車乗りの意見にはかなわない。警察も車のドライバーの意見には耳を傾けるが、サイクリストの意見は無視される。「自転車は車両だから車道を走りなさい。」というのは簡単である。「車道には自転車で走れるスペースがない。」と警察に意見すると、いとも簡単に「歩道を走って構いません。」という。「自転車で30km/h以上出して走るので歩道は走れないのですが。」というと、「危険な道路は自転車で走らないように。」という始末。国土交通省も、「国道は自転車の走行は想定していない。」と断言する。

日本において、「道路は車のためにある。」という常識が当たり前と思われている。フランスなどを自転車で走ってみると分かるのだが、「道路は自転車最優先。」が常識である。単に文化の違いということで片づけてはいけないと思う。
こう考えると、常識は多数派の考えによって大きな影響を受けており、正しいどころか間違いのほうが多いのである。「常識とは破るためにある。」という考え方は間違っていない。