自転車で山の中を走りながら、私のDNAは山岳信仰や密教の教えに触れているような気がします。

私の前世は修験者だったのか?でも苦しい修行は好まない。

知識で自転車のことを語る人と私はあまりかかわりたくありません。知識で本物の自転車を作ることはできないからです。自らの体験データのみを頼りに自転車の開発をしている人を尊敬します。

「頭で考えるな、体で感じろ。」というのは自転車も空海の真言密教も同じなのです。
私は常にスポーツ車に乗りながら、当たり前のことに疑問を持ち続けてきました。「なぜ、前傾しなければならないのか?」、「なぜ、足が付かないほどサドルを高くセッティングしなければならないのか?」、「なぜ、足をペダルに固定しなければならないのか?」


「自転車競技の常識をツーリング車に持ち込むのはおかしい。」とずっと思い続けていました。空海ならどうするか?などと思いながら自転車を走らせていると、体の声が聞こえてくるのです。といっても言葉で聞こえてくるのではありません。体が自分に訴えるのです。「痛いよう、苦しいよう。」と。
そこをいかに楽にできるかがとても大事なのです。
今、ようやく「前傾せず、両足がべったり接地でき、足をペダルに固定せずに楽に走れる方法」が分かってきました。当たり前のことをするだけでそうできるのです。競技用自転車の常識は私には拷問なのです。それが嫌でずっと自転車の開発をしてきました。18歳で自転車競技を体験し嫌な体験をしてから37年もの間、ずっと追求し続けていたのです。
ドロップバーの卒業、ランバーサポートの開発などから始めました。
「127mmクランクでも楽に走行できる自転車。」の偶然の発見から新ショートクランク理論というものに取り組み始めました。そのとき、偶然にもヤマハとBSCで電動アシスト車の共同開発が始まりました。「人力自転車が脅かされる時代がやがてやってくる。」と私はそのとき感じました。

今、私に他力の風が吹き始めたようです。「他力」とは自分の力が及ばない大きな宇宙エネルギーのようなもの。真言密教のご本尊、大日如来が動き出したかのように思われます。自転車開発と真言密教はとっても良くにていると感じてるのは私だけでしょうか。