中国から昨夜帰国しました。

12年後の中国は私が付いていけないほどハイスピードで発展を成し遂げました。

もう、品質のことを手取り足取り教えていた時代とは打って変わって、BSCの工場なんか問題にならないほどしっかりしており、とんでもない巨大工場ばかりです。

天津市内は古い町並みは完全になくなり、日本顔負けの大都会である。(天津中心街の大観覧車)
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まるで、自転車のスポークホイールのような大観覧車だ。よく作ったなあ。

中国・天津では世界中のブランドの自転車を作っている。日本なんか相手にしてくれないほど。
全世界の90%近く、この天津で生産されているのではないだろうか。

開発者は日本にいたら育たない。中国の生産現場に常駐するくらいでないと開発者にはなれない。
特にアルミフレームはパイプではなくいろんな形に成形できるため、デザイン性が大きく広がる。

ハンドメイドのクロモリロー付けフレームとは対照的である。年間2000万台生産している工場もある。溶接ロボットも珍しくはない。TIG溶接機や溶接ロボットはパナソニック製が目立つ。
とにかく仕事が速いなあ。やすり掛けなんてかったるいことはここではできない。

あと、天津のように北京近郊の都市では環境規制が厳しく、メッキやアルマイト、バフ研磨などはできないし、排水は工場の外には一滴も流せなくなっている。排水、排気処理施設には膨大なコストがかかっている。

「日本人は価格のことしか言わず、技術的なことを話す人は非常に少ない。」というのが中国人の日本人に対する印象である。だから、どこのメーカーも私の技術的質問には関心を持って対応してくれた。

私のような開発屋が乗り込むのは珍しいようである。質問の切り口が全く違う私に対して、一生懸命現地の人たちは対応してくれた。
日本はモノづくりを捨てたのである。メイドインジャパンは過去のもの。中国では1960~1970年代の日本製のピカピカ自転車は高値で取引されコレクターも多いと聞く。
今、日本人で自転車をまともに開発できる人たちは皆定年退職してしまった。生産現場を知らない若い人たちはモノづくりを知らない。自転車なんてどうでもいいと思っている人たちが自転車で飯を食っている。ハンドメイド工房も後継ぎがいなくてそのまま廃業になってしまうところが多いであろう。

日本人の研ぎ澄まされた感性は世界一である。しかし、それも過去のもの。
サイクルベースアサヒが国内シェアダントツトップである自転車業界には新しいものへ挑戦しようなどと考えている人は皆無と言ってもいい。

だから、今がチャンスなのである。これから、自転車業界を引っ掻き回す時が来たのである。