「自転車のことを考えるのは自分以外の誰か。」「自分だけ楽しめればあとは関係ない。」
多くのサイクリストは仏教でいうところの小乗仏教に当たる。自分のことしか考えていないのである。

私は、輪行菩薩というハンドルネームを持つ。菩薩とは大乗仏教では大衆の救済をすることになっている。つまり、自分のことだけでなくみんなのことを考え、大衆を正しい方向へと導かならなければならないのだ。

ハード面では一部のサイクルマニアのためにではなく、一般大衆向けの安心・安全な自転車の開発に取り組んでいる。サイクルマニアは小乗仏教的な考えの人が大半である。
さらに、交通環境においても、何とかしなければと思っている。警察は今のところ自転車の敵になってしまっている。自転車のことは一切お構いなしなのだ。

「誰かがやってくれる。」のを指をくわえて待っている連中がほとんどなのである。自転車は好きだが愛してはいないのだ。だから、人任せで平気でいられる。自分さえ良ければいいのだ。

私は、人力自転車において安心・安全な自転車をこれから世の中に出していく。さらに、自転車にやさしい都市づくりにも加わろうとしている。本当の意味での自転車仲間はわずかしかいない。
また、足が不自由な人のための自転車も将来やりたいと思っている。

私は自転車を愛している。だから、自転車のあらゆることに対して気にかけている。
今の自転車の交通環境は最悪である。でも、そのままでいいはずがない。また、自転車のマナーも最悪だ。メットにサングラス姿のローディーでまともな挨拶ができる人が少ない。自転車という同じ趣味を持った仲間なのだから、自転車とすれ違う時はちゃんと挨拶するのが当たり前。自転車に乗りながらスマホやってる連中は私から言わせれば死刑に値する。つまり、自転車には一生乗ってほしくない。

「安全のためにヘルメットを被ろう。」というのは逆効果だということをほとんどの人が理解できていない。「ヘルメットを被っているから危険な運転をしていても大丈夫。」と考えるとんでもない人種が増えるだけだ。ヘルメットを被らないで自転車に乗るということは「危険なことをしたら死ぬかもしれない。」ということを覚悟のうえで自転車に乗らなければならない。だから、ヘルメットを被らないほうが安全運転につながると思っているし、ヘルメットを義務化した国では逆に事故が増えているという現状も踏まえて考えていることだ。

「誰かがやってくれるだろう。」ではなく、「自分がやらなければ。」と思える人たち限定で自転車趣味が許されているのである。甘い考えで自転車を趣味にしてほしくない。