なにも、本格的なパスハンティングをやる必要はない。
雄大な山の姿を見たとき、私は自然に山に向かって手を合わせる。
すると、指先から宇宙エネルギーのようなものが体の中に入り、そのエネルギーが全身を駆け巡る。
これは、感じる人と感じない人がいるので、みなさんにお勧めできるものではない。
この体験をすると、エネルギーがみなぎるというよりも体が清められる感じのほうが強い。とても気持ちのいいものである。日本古来の山岳信仰には、現代宗教とは何か違ったものを感じる。
現代宗教は人間の手あかまみれであり純粋さが失われていると思う。
しかも、本物の宗教者というものはごくわずかであり、私もいろんな宗教者とご縁があったが、本物と思えたのは2人しかいない。しかし、人間を介して宗教を学ぶのは私は難しいと思う。本を読んでも何が書いてあるのか全く理解不能である。「色即是空 空即是色」なんて俗人の目線からはいくら頑張っても理解できない。
それよりも自転車でふらっと軽く走って、遠くの山に手を合わせたほうが分かりやすい。古代日本人は現代人には分からない山の力を感じていたんだと思う。
「人間は自然の一部。」「人間は宇宙の一部。」であることに間違いはない。ただ、それには深い深い意味がある。それは頭では理解できない。体感しないと分からない。結局、密教が一番大切にしている考えにたどり着く。
コメント
コメント一覧 (2)
ワタシも
山とか沙漠とか海で 一人きり
ボーッとしているとき
不思議な感覚に包まれた経験があります。
説明しようがない直感とでも
いいましょうか。
宗教の本を読むと
「密教」がワタシの直感と近いかなと思います。
輪行菩薩
がしました
こんばんは。
人間の手には現代人では退化してしまったいろんなセンサーが古代ではあったんだと思います。一番わかりやすいのは気功法かな。私は気功法の先生に、手のひらから裏側に気を通してもらったことがあります。確かに手のひらを通過するものを感じました。これはやはり、感じる人と感じない人があるようです。
山岳信仰と密教は非常に近い関係にあると思います。
輪行菩薩
がしました