本物の宗教は布教活動はしない。
新興宗教は布教活動に熱心である。新興宗教は表面的には良いことを言っている。しかし、それは信者を集める手段でしかない。
新興宗教を信じるのは自由である。しかし、関係のない他人まで巻き込まないで欲しい。

これと似たようなことが、自転車乗りにも発生している。
自転車に乗る時にヘルメットを被るかどうかは本人の自由である。
しかし、ロードバイクの増加により、ヘルメットは「コスプレ」の道具の一部となった。ロードジャージにレーパンはけば、ヘルメットとサングラスはセットである。モッコリレーパンを履くことに抵抗ない人は何も考えずにヘルメットを被る。これこそ「頭隠して尻隠さず。」の典型だ。みんなでやれば怖くない現象である。ここまでならまだ自分の自由だからいいだろう。
しかし、「安全性」というもっともらしい理由でヘルメットを被らない人たちに対して、強引な「ヘルメット強要」が始まった。ヘルメット信者には新興宗教よりしつこいストーカーまがいのものまでいる。
しかし、ヘルメット信者は矛盾した行動をとる。そんなにヘルメットが必要ならば、歩いているときだって、車を運転するときだって、ヘルメットを被らなければならない。歩いていて、空から重量物が頭に落ちてきたら助からない。車だって万が一の時エアバッグが開くという保証はない。
なのになぜ自転車に乗る時だけヘルメットが必要なのか?それは、自転車で危険な運転をするから必要だと言ってるのではないか。「自転車は危険な乗り物だからヘルメットを被りなさい。」と。

この部分も新興宗教に似ている。「この宗教を信じなければあなたは不幸になる。」という決まり文句。「あなたは、自転車に乗る時だけヘルメットを被りなさい。そうしなければ不幸になる。」

私は「ヘルメットを被るな。」と言っているのではない。被るか被らないかは本人の自由であり、自分が被っているからと言って他人に強要するなと言ってるだけである。

本当に安全性を追求するなら、NJS公認ヘルメットを被ることをお勧めする。